中庸という超覚醒

孔子は論語で、「中庸の徳たる其れ到れるかな」と述べています。不足でもなく、余分のところもなく、ちょうど適当にバランスよく行動できることが人徳として最高のものという意味です。

 

何かにとりつかれた様に過度に覚醒した状態(ハイ)になることはありませんか。誰かを目の敵のように嫌に思ったり、何かに執着したり、過度に正当性を主張して相手を追い詰めたりしていませんか。自分が有利な立場に立つことで高揚した気分になることはありませんか。

 

かつて職業軍人だったという知人にお伺いしたことがあるのですが、アジアの激戦地から終戦後帰還し、しばらく経っても、床に就き眠りに入ったあと夜中突然目覚め仁王立ちし、軍刀を振りかざし敵に立ち向かい、戦地にいたとき同様猛々しい状態になってしまう自分にずいぶん悩まされていたそうです。戦後生まれ育ったわたしたちには、このような体験はありませんが、遺伝子に刻まれたトラウマから何かのきっかけで無意識に即戦いに備える反応に陥る機会があるかもしれません。この反応こそ敵と味方、白と黒、善悪などの二極を分けたまま社会を維持している過覚醒の成長段階です。私たち日本人は先の大戦への自戒のプロセスを超え、世界をリードして過覚醒を卒業して、世界の平和のために貢献できる立場にあります。

 

中庸を保つ習慣が身につけば、自分の過覚醒状態を見抜き、自戒することができます。中庸の意識状態は、過覚醒状態を超え、より進化成長した段階にありますので、中庸な自分は、過覚醒の自分から離れたところからもう一人の幼い自分を戒め、諭すことができるのです。

 

いつも中庸であることを心掛けましょう。